ママになれない...

妊娠して気づいた心の問題

中絶しないことにした

最初のブログでは初期中絶は手遅れと書いたけど、厳密にいうとギリギリできると思う。でも、産むことにした。仕方ない。愛情が湧いちゃった。

 

私の場合特殊かもしれない。妊娠前まで手放しで他人の子供も可愛い崇高な存在だと思っていたけど、今となっては他人の子供なんて気持ち悪いしイライラするし無邪気ぶってて嫌い。気味の悪い、得体の知れない、なにも可愛くない、そんな風に思うようになった。こう思うようになった理由はわかっている。

 

まず、お腹の中にいる子を「自分とは別の人格である他人」だと認識しないといけないというプレッシャーがすごくある。

 

それは、毒親である母が私のことを「この子は私の分身」と言い、自分と私の区別もつかず私の感情も個性も認めてくれず傷つけてきた、そのトラウマからくるプレッシャーである。

 

絶対に、母みたいになってはいけない。

 

子供は他人!

子供は他人!

子供は他人!

 

そんなトラウマからくる意識が肥大化して、子供というものが妊娠後、可愛いと思えなくなった。自分のお腹の子も、おそらく可愛いと思っているのだけど、「感情移入しすぎて毒親みたいになってはいけない」と思うがあまり、愛を遠ざけている感じが自分でわかる。他人だと言い聞かせることで、この子に依存しないように必死で、その結果、「子供なんて可愛くない」という思考に辿り着いている。

 

この子は、私の子供、というより、私のところに偶然託された神様?の子供、だと思っている。育てるというより、サポートする、と思っている。育てるとか、躾だとか、そんな傲慢な態度で他人に接するつもりはない。

 

そうでも思わないと、母みたいになってしまいそうで怖い。

 

妊娠して、母のことも大嫌いになった。曲がりなりにもほんの少し胎児に愛情が湧いてきて、そうすると、こんなにも愛する存在である子供に、母はなんてことをしてきたのだと。よく、あの毒親は、あの女は、子供である私にあんなことができたもんだなと、ますます母のことが分からなくなったのである。

 

きっと子供が産まれたら、もっと母の毒っぷりを認識し、もっと嫌いになっていくことだろう。もしかしたら、本当の意味で母と決別するべき時が来たから、この子が来てくれたのかも知れないとすら思う。

 

一般的には子供ができると母への感謝の気持ちが湧いてくるらしいが、毒親の場合は逆に、恨みが湧いてくる。これは多くの毒親育ちの人が口を揃えていうことで、私も例外ではなかった。毒親育ちに気づいていない毒親育ちの人は、子供ができたとき「あれ、親にあまり感謝の気持ちが湧いてこない」ということをきっかけに、気づいたりするのかも知れない。

 

私は妊娠するまでも、毒母が毒母であることには気づいていたが、でも、妊娠してみてその深刻さと、私がそれによってどれだけ傷ついていたかがわかった。

 

毒母の毒を再認識するのは、ネガティヴなことのように見えて、私にとっては必要なことだったと思う。このまま毒母の毒をなんとなくうやむやにして、それなりに仮面親子で過ごしても、この先いいことはなかったと思う。

 

妊娠をきっかけに、すっぱり決別し、私は私の人生を送り、そして、この子にはこの子の人生を歩んでもらえるようにサポートし、そんな毒母とは別の日々をこれから送ることができることは、私にとってはおそらくポジティブなことなのだと思う。

 

でも、泣いている。本当は母に愛されたかったし、愛されなかったとしても、せめて自分が思う自分の人生を歩みたかった。10代、20代、母に潰された。時間は二度とかえってこない。悲しいし、悔しい。過干渉でなく、みるからに分かりやすい虐待であれば、もっと早くに母を捨てられたのに、と思う。実際、そうらしい。ニグレクトや、肉体的虐待をうけた子供の方が、まだ親のおかしさに気づくのが早い分、親から逃げやすいため、心の問題が「過干渉という虐待」ほどには重症化しない傾向にあるのだとか。

 

私は虐待の中でも特にひどい虐待を受けていたのだ。

 

知らなかった。

 

子供にはそんな思いをさせたくない。そして、こんな想いに気づかせてもらって、こんなんじゃダメだ、私の人生を送らなきゃと気づかせてもらって、この子には本当に感謝している。

 

正直、毒母とも仲が悪い、男は逃げた、未婚、そんな中で中絶も検討したが、でも、やっぱりできない。産むのも申し訳ないかも知れない、ごめん、でも、産む。

 

母みたいに「育ててやる」じゃなく、私は、「育てさせてもらう」という気持ちで産む。

 

育てるのは義務でありせめてもの罪滅ぼし。勝手に私の都合でこの世に誕生させるのだから。ごめん、でも、私ができる限り幸せな人生になるようサポートするから、あなたの感情や夢、個性、どんなものでも受け入れて、それをサポートするから。

 

そんな気持ちで産もうと思う。

 

中絶しなかった理由は、

 

「いろんなことに気づかせてくれて、ありがとう」と伝えたいから。そして、そのありがとうの気持ちを少しでも行動で示したいから。