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ママになれない...

妊娠して気づいた心の問題

毒親が理由で、子供がいらないなんて

愛なんて、知らない。

 

母から精神的虐待を受けて育った。過干渉、私は母の分身として認識され、個性や感情を持つことを許されず、私がそれらを出すと否定されて育った。夢も、存在も、やりたいことも、何もかも否定されて育った。それでも私は、私は掛け替えのない存在だと思うことをやめなかった。はずだったのに、やっぱり産まれて初めての人間関係、つまり親子関係で自己肯定感を育ててもらえないと、自分に自信が持てなくなる。自分を否定してしまう。肯定していると頭では思っていた、口でも言っていた、私は私が大好きで自信もあると。でも気づけば、私は私を大切にしないような男にばかり依存し、私を大切にしないような環境にばかり身を置き、そして、ボロボロになっていた。その時は気づかなかった。ただのダメ男好き、だとポップな笑い話だと思っていた、若かったと言うのもある。でも、そんな男に依存する理由は、私が私に自信がなかったから、私が私を大切に扱うべき存在だと認識していなかったからであると言うことがわかった。逆に、この男は良い男という男や、私がずっと憧れてきた類の男に好かれると、急に、相手に魅力を感じなくなるということも多々あった。追っているほうがいい、手に入らない存在がいい、そんな風に思ってしまう。それは、「こんな私を好きになるなんて、この男も大したことない」と思ってしまうからだった。

 

「こんな私なんて」

 

こう言っている自分に、ハッとした。私は、自分のことが好きで自信があると頭で、言葉で、自分や他人に言い聞かせてきたけど、いざ異性関係となると、「こんな私」と自分を卑下してしまうなんて、私はこんなに自己肯定感が低く、悲しく、惨めな存在であったのかと。

 

色々なものが崩れる音がした。

 

どれだけ努力して、外見を磨いて、中身を磨いて、コミュニケーション能力を高めて、好きな男に好かれたところで、自己肯定感が低いままでは永遠に幸せになれないのだということ。

 

それは仕事においても同じ。どれだけ努力して、才能を磨いて、周囲に羨まれるような仕事をしたとしても、自己肯定感が低いままでは永遠に満足できないのだということ。

 

これまで、外見を磨いたり、仕事のスキルを磨いたり、そんな当たり前で尊いはずの努力が、全部私にとっては無駄な方向の努力であったということを突きつけられ、これまでの人生なんだったのか、と、途方にくれた。

 

私は、私の自己肯定感を高めることでしか、何をしても、幸せになれない。でも、好きな男に好かれても、好きな仕事で評価されても高められない自己肯定感を、一体どうやって高めれば良いのだろう。検討もつかない。

 

とりあえず、自己肯定感が著しく低い(惨めだから、認めたくはないが)理由を分析した時、色々と経験するうちに、すべて、母娘関係に起因することがわかった。そして私は「毒親」「過干渉」「精神的虐待」についての知識を深めていくことになる。そして、疑惑が確信に変わった。私は母から、あまりにも巧妙で、気づきにくい方法で、どんな虐待よりも逃れにくくたちが悪いとされる「過干渉という名の精神的虐待」(時に肉体的虐待も)を受けていたことがわかった。そして、そのことに深く傷ついていることがわかった。今思い出しても、泣けてくるくらい、悲しいことがたくさんあった。カウンセラーにも話を聞いた。虐待だと、女の嫉妬だと、断言された。

 

なんだかんだ「あなたを愛しているから」という言葉を信じていた私が馬鹿みたいに思えた。でも、母は私を愛しているのでなく自分を愛しているだけで、私を介護要因のように見ていた。自立をこれでもかとばかりに妨害してきた。そしていざ自立しようとすると、つまり、自分の介護要因にならないと悟ると、掌を返したように無関心になった。そして、私のことをひどい言葉で罵った。その時気付いた。母は私を愛していなかったのだと。

 

歪んだ愛ですらなく愛ではなかった。いや、歪んだ愛というのはつまり愛ではない。

 

就職してから男性と遊ぶだけで車で後をつけて探偵のようなことをしてきた母、夜中に帰るとなると場所を調べて車で迎えにきて私の友人がいる前でも私の恥も知らずに無理やり車に乗せて私を連れて帰った母。そんな母はいつでも「あなたが心配だから、幸せになって欲しいから」といった。

 

けど、母の介護要因になるつもりはないことを告げて以降、例えば、夜中に私がストーカーに合って「迎えにきてほしい」と声を震わしながら助けを求めた時ですら「そんなの大丈夫でしょ、自分で帰ってきなさい」と鼻で笑って電話を切られた。あれだけ心配という名のもとに束縛してきていたが、心配というのは嘘だったのだということを、この時確信した。悲しかった。あれだけ私を心配してくれていたはずの母なのに、私がストーカーに合っていて命の危険を感じていると自己申告した時は、無視したのだから。自分の都合が良いように心配するふりをして束縛をして、私のことなんてこれっぽっちも考えていなかったのだと思った。

 

これを書きながらも、泣いている。思い出すだけで胸が苦しい。初めての人間関係である親に愛されなかったということが、20代後半にもなって、これほど心に、人生に重くのしかかり、私を不安定にするものだなんて、知らなかった。こんなに私は親に愛されたかったなんて、知らなかった。こんなに私は傷ついていたなんて、知らなかった。

 

この子がお腹に宿るまでは、なんにも分からなかった。